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インフルエンザ診療のジレンマ。

[2019.01.24]

 インフルエンザの流行もいよいよピークを迎え、私のクリニックでも多くの患者さんが高熱、体の痛み等の症状で来院されています。今年の傾向としては、インフルエンザに罹ったことがない(あるいは記憶にない)人の感染・発症が目立ちます。今年のA型インフルエンザウイルスはやや変異しているのではないかと考えます。一方ワクチンの効果に関しては例年通り効いている印象です。接種しているにも関わらず発症して来院される方もいますが、インフルエンザの典型的な発症(突然の高熱)ではなく、通常の感冒様症状で様子を見ていたが、発熱が38度を超えてきたとか、倦怠感が長く続くので念のためと行った動機での来院が多い傾向にあります。 こうした人たちはおそらく無処置のままでもワクチン未接種の方より早く症状が緩解するものと考えられます。

 我が国の医療体制は、国民皆保険制度や、都市部ではコンビニのごとく林立する医療機関のおかげで、平日の日中であればほぼその日のうちに受診できます。これは世界に冠たるシステムと言えるかもしれません。しかしインフルエンザ診療に関しては、ここに大きな問題があります。こうした医療システムのお陰か、ちょっとでもインフルエンザを疑えば、学校でも、会社でも調べてもらってきなさいとアドバイスしているようで、インフルエンザ感染以外の患者さんも、検査を希望して多くの方が来院されます。私どもは簡単に使えるインフルエンザの迅速診断キットを用意して患者さんの感染の有無をチェックするわけですが、簡便ではあっても感度が良くないために発症初期(発熱後12時間程度まで)のウイルスが少ない状態での検出は難しいのが現状です。例えば、昼過ぎに悪寒を感じ、夕方体温を測ったところ38度あったといって来院される患者さんを検査して陽性の結果が得られる事はほとんどありません。こうした場合、家族や身近にインフルエンザの患者さんがいなければ「症状が強くなるようなら明日もう一度来院してください」と言って、通常の感冒薬と解熱剤を処方することになります。

さて、インフルエンザの診断が確定した場合は抗インフルエンザ薬を処方することになりますが、薬の効果がどれ程かご存知でしょうか。 

 有効とされる抗インフルエンザ薬が初めて登場したのは1997年のザナミビル(5日間の吸入薬)です。翌年にはオセルタミビル(カプセル5日間服用)と続き、近年では、点滴のペラミビルや、1日の(4回)吸入で済むラニナビルまで、4種類の薬剤が使用されていました。やや専門的になりますが、これらはいづれもノイラミニダーゼ(NA)阻害剤というタイプの薬で、効果もさほどの違いはありません。私はザナミビルの臨床試験に携わり、臨床データを熟知していますが、当時はいままで無かったインフルエンザに効く薬が登場したという事で大いに期待されました。しかしその成績は、インフルエンザ発症後48時間以内の健常者を対象として行なわれた臨床試験において、症状改善までの時間が、偽薬群の93.3時間に対してオセルタミビル群で70.0時間(図上)との結果でした。

この差をどう解釈知ればいいのでしょう。 一日も早く(改善して素晴らしい)と見るか、わずか一日と見るかは、医療体制の異なる国によって考え方にかなりの違いがあるようです。 また鳴り物入りで登場し、テレビドクターが盛んに宣伝まがいのコメントをしているバロキサビル(1回服用)の臨床試験結果も偽薬群の80時間に対して、バロキサビル群では53.7時間と約一日症状の改善が早かったとの結果でした(この際にオセルタミビルとの比較も実施していますが有意差はありませんでした)(図中)。

感染後48時間以内に区切って試験を実施した理由は、インフルエンザウイルス感染後の体内での増殖を継時的に観察した実験から、正常な免疫機能を有する健常人においては、ウイルスは感染後約48時間でピークに達する(以後は免疫の力により増殖が抑制される)という結果が得られているからなのです(図下)。抗インフルエンザ薬はいずれもウイルスを殺すものではなく、新たな増殖を抑える作用しかありません。したがって48時間以後に抗インフルエンザ薬を開始しても、効果は著しく低下してしまうと考えられます。これらのデータからは、感染後、治療開始が早ければ早いほど薬剤の効果が高いと考えられます。

このようにインフルエンザ診療には、診断に時間が必要な反面、出来るだけ早く治療を開始することが重要といったジレンマが生じるわけです。

 

 CDC(米国疾病センター)やWHOは、こうした臨床試験のデータやウイルスの体内動態を考慮して、幼児や高齢者、基礎疾患を有する者のみを対象として、薬剤の処方を考慮するとの指針を発表しています(WHOに至っては、日本ほど医療機関へのアクセスが良くない地域を念頭に、意味がないと解釈しているようで、現在では推奨していません)。ところが本邦では高齢者、有病者という言葉がすっぽり抜け落ち、インフルエンザの診断イコール抗インフルエンザの処方になっており、世界的にみても特異的な状況といえるのではないでしょうか。

数年前のデータですが、本邦におけるオセルタミビルの消費量は全世界の供給量の7割に達するという異常な状況は、国民皆保険制度やコンビニ受診、インフルエンザ治療に対する独特な考え方が背景にあるように思われます。

 私もいろいろと悩みながらも、インフルエンザと診断した発症後48時間以内の患者さんや、高齢の患者さん等には抗インフルエンザ薬を処方していますが、今シーズン100名以上診断した中で、バロキサビルの処方は僅か1例のみで、他の患者さんには、従来のNA阻害剤を処方しています。バロキサビルを使わない最大の理由は、薬剤耐性ウイルスの出現頻度の高さにあります。 NA阻害剤が発売後20年以上も大量に使用されながら、耐性ウイルスの流行は起きていません。一方バロキサビルは臨床試験の段階から、成人の約10%、小児に至っては20%以上の耐性ウイルスが確認されています。1回服用という簡便さに釣られて、この薬剤を乱用すれば、かつての抗生剤の様に耐性ウイルスによる流行が蔓延することとなり、せっかく日本で開発された新規薬剤が無駄になってしまう可能性もあると言えるでしょう。

 

残念ながら日本は僅か一日をも無駄にできない、世知辛い競争社会と言う事なのでしょうか。

 

追伸

感染後のウイルス増殖に関しては、健常者のデータ(図下)で、免疫機能の低下している幼児、高齢者、基礎疾患(COPD、糖尿病、癌等)を有する患者さんは増殖が更に継続する可能性があり、こうした患者さんにこそ臨床症状等を参考に48時間以降でも薬剤使用の意味があると考えられます。

 

 

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