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ボへミアン ラプソディー

[2019.02.17]

パンフ・ボヘラブ

遅ればせながら話題の映画「ボヘミアンラプソディー」を観て来ました。公開から3ヶ月以上経過しているにも関わらず、かなりの盛況で、私もクイーンの音楽活動に焦点を当てた映画として、大成功だと思いました。特に最後の20分に渡る、1985年に開催されたアフリカ救済チャリティコンサート(ライブエイド)の再現シーンは、感動で涙がでる程で、久しぶりに映画で鳥肌が立つ思いで見入ってしまいました。しかしこの映画に関しては、一部の批判もあると聞いています。詳細は知りませんが、映画の主人公としてフレディマーキュリーの私生活の描き方が問題ではないかと推察しています。この映画のファンの大多数は当時を知る年配のファンでは無く、クイーンを知らない若者が中心のように思われます。彼らは、フレディがHIV (Human Immunodeficiency Virus:ヒト免疫不全ウイルス)に感染し、体力が衰えて行く過程の描写をどういう気持ちで観ているのか、エイズ診療に長年携わって来た私には非常に興味深い所です。

私がエイズ診療を開始したのは1996年で、米国の大学病院でオブザーバーとして腫瘍内科に勤務しつつ、がんの免疫療法、遺伝子治療の研究を少しかじり、また現地での生活を満喫して帰国した年でした。米国(およびその他の地域)でのHIV感染の急速な拡大に危機感を抱いた厚生省(当時)が、全国の大学・地域の基幹病院をエイズ診療拠点病院としての整備に力を入れ始めていました。ある日教授に呼ばれて教授室へ行くと、「君は少しは免疫が分かるようだから、エイズをやってもらえないか」との事でした。留学中の研究を更に発展させたいと考えていた私にはまさに青天の霹靂でした。まだ「エイズ=死」を意味する疾患と考えられていた時代でした。しかし元来楽天的は私は「そんなら一丁やったるか」という気持ちに直ぐに切り替えることがでしました。大学で診療を開始するにあたり、都立駒込病院感染症科で2ヶ月、ロスアンゼルス(南カリフォルニア大学)で3週間の研修の話もあり、米国かぶれの私にはこうしたカリキュラムはかなり魅力的に映ったことも事実でした。

スライド1大学でエイズの患者さんの診療を始めた頃は、やはり大変な思いをしましたが、当時懸命に治療にあたったほとんどの患者さんが今もお元気で活躍されていることを考えると、私は幸運だったと思います。まさに1996年はエイズ治療に関して画期的な年でもありました。それまでにも抗HIV薬はいくつかありましたが、単独で用いるとウイルスが直ぐに耐性化してしまい、治療効果を持続させることができませんでした。しかし当時米国NIHのDavit Ho博士のグループが実施した多剤併用療法(AZT +3TC +IDV)の治療効果はその持続を一気に年単位で伸ばすことに成功しました(図)。この事が当時の社会にいかに大きなインパクトを与えたかは、経済誌として有名な「タイム」が1996年のParson of the Year(写真:タイム誌の表紙)に博士を選んだことからも頷けると思います(2014年までに医学界から選ばれた唯一の研究者だそうです)。

私はクリニック開業後も2014年まで大学の特殊感染症外来を担当しましたが、死と隣り合わせの患者さんの診療を多く手がけてきた経験が、現在の診療スタイルにも影響していると思っています。

 「医者は、どんな名著(教科書)や(教授の)名講義より、患者(の診療)を通じて成長する」というのが私の持論です。

 

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 所で、 HIV・エイズに関してどの程度の知識を持っておられるでしょうか。最近はマスコミで取り上げられる事も少なくなり、かつ過去の病気と思われてる方も多いかと思いますが、日本における2017年の新規登録エイズ患者は413人と、減少傾向は認められていません、

エイズは HIV(Human Immunodeficiency Virus:ヒト免疫不全ウイルス)の感染により発症しますが、このウイルスの感染力は低く大雑把に、B型肝炎ウイルスの100分の1,  C型肝炎ウイルスの10分の1と言われており、特殊な環境下でしか感染しません。しかしこのウイルスの厄介な所は、免疫の司令塔であるリンパ球の中の、CD4という分子を持ったTリンパ球(CD4Tリンパ球)に感染し、このCD4Tリンパ球の遺伝子に自らの遺伝子を組み込む一方、このリンパ球をどんどん破壊して行く所にあります。本来CD4Tリンパ球はBリンパ球に働きかけて、異物に対する抗体をつくり出しますし、他のTリンパ球に働きかけてキラーTリンパ球を誘導する役割を持っています。このためHIVの感染によって、血液中のCD4Tリンパ球は徐々にその数を減少していくと同時に免疫能が低下していくことになります。しかしHIVに感染しても直ぐにエイズを発症する訳ではありません。通常感染から数年、時に10年以上経過してからエイズ発症にいたります。すなわち血中のCD4Tリンパ球が極端に減少してくると様々が感染症に罹りやすくなります。エイズの定義は、HIVの感染よる免疫機能の低下により特殊な感染症を発症した状態をいいます。HIV感染=エイズでは無い事を強調しておきたいと思います

現在では抗ウイルス療法も1990年代より格段に進化し、服用も簡単になりました。しかし残念ながら現在の医学を持ってしても、HIV感染を治癒させる(体からウイルスを完全に排除する)ことは出来ません。一旦CD4Tリンパ球の遺伝子に組み込まれたHIV遺伝子は、治療を中断すると再活性化すると考えられているからです。

君子危うきに近寄らずと申し上げる所以です。

 

大分横道に逸れてしまいましたが、映画に話を戻します。公式にはフレディがエイズと診断されたのは1987年とのことですが、それより前に、彼は自身のHIV感染を自覚していたと考えます。1983年にはHIVが原因ウイルスとして特定され、エイズの全体像が解明されつつある時期でした。また当時数多くの有名人が公式にもエイズで亡くなっており、治療法が確立していなかったHIV感染は「HIV=エイズ=死」として、一般社会でも脅威として受け止められていました。映画の中で、彼が、当時実質的なマネージャーでありパートナーでもあったジムと、ライブエイドへの出演依頼を無断で断ったことに激怒して訣別するくだりや、一時、袂を別っていた仲間を急遽招集し、ライブエイドへの参加に向けて尽力するくだりは、心理描写こそ少ないものの私には良く理解できました。当時のアフリカは単なる貧困ではなくエイズの蔓延に苦しんでいました。彼のライブエイドへの強行出演は、アフリカでの悲惨な状況を自身の運命に重ね合わせた結果ではなかったのかと考えるのです。

こうした背景を頭に入れてこの映画を見ていただければ、私の涙の訳も少しはご理解いただけるのではないでしょうか。

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